岡田さんの担当を降りました

突然ですが、岡田さんを担当にすることをやめました。

あんなに重い記事を書いておきなが担降りするんかい!と思う方もたくさんいると思います。自分でもそう思いました。
何だったんだあれは・・・と。
だけど、今思えば、前回の記事に思っていたことを全て吐き出すことが出来たのも、きっと自分の気持ちにけじめをつけたかったからなのかもしれません。

岡田さんのことを好きな気持ちは彼のファンになってから今でも1mmも変わっていません。
それなのにどうして担降りしたのかと言うと、「見守り続ける必要性を感じなくなったから」です。
前回の記事でも書いた通り、彼ならもうこの先も大丈夫だと断言できるからです。
岡田さんの心がV6にない時から、彼の心にV6が戻るまでの10年を見て来ました。
私が見てきたのはたかが10年ですが、長過ぎるくらいの時間を経てV6に戻って来た岡田さんなら、もうこれからも大丈夫だと、今の岡田さんを見ていると本当にそう言い切れるからです。

前回の記事を読んでいただいた方はご存じだと思いますが、私が岡田さんのファンになったのは、その時々でこほこほ変わるジェットコースターのような気分の波の激しさにビックリして、色々調べるも謎だらけで、もっと知りたいと興味を持ったことがきっかけだった。

感情を表に出さず、グループから遠ざかっている岡田さんを、今にも消えてしまいそうな岡田さんを、「この人は大丈夫なんだろうか」とずっと心配していた。
彼が心から笑えるようになるまで「見守り続けたい」とそう思っていた。
だけど、今は、本当に心から楽しそうに笑っていて、色んな表情を見せてくれる。
昔の岡田さんはもういないんです。

いわゆる反抗期と呼ばれた時期の岡田さんを私は好きになったので、好きになった時の岡田さんがいないと言うのは少し寂しさもあります。
・・・いや、寂しいです。
とても寂しい。

だけど、それでもV6として、メンバーと心から楽しそうに笑う今の岡田さんを見るのが本当に嬉しくて、岡田さんを好きになった10年の中で本当に1番嬉しかった。

そうやってメンバーと楽しそうに笑う岡田さんを今年はたくさん見たし、見過ぎた。
嬉しいはずなのに、そんな岡田さんを見る度に、自分の心にぽっかりと穴が空いていることに気付いた。
「もう心配しなくても大丈夫なんだなぁ・・・」とそう思うようになった。
私1人が岡田さんの担当をやめたって1mm足りとも本人に影響はないし、私のことも知らないんだけど、「私の役目は終わった」と1番にそう思った。

今でも私が岡田さんを好きな気持ちはファンになった当時と変わらないし、今の岡田さんの方が大好きなのにそれが寂しい。
凄く寂しい。
嬉しいのに寂しい・・・。
そうやって岡田さんを、V6を見ていくうちに、気付けば岡田さんを目で追わなくなっていた。

岡田さんは「自分が入口でもいいから他のメンバーのことをもっと知って欲しいし、好きになって欲しい。それが自分の役目だと思っています」と以前に言ったことがある。

だから、私は岡田さんから、V6のリーダーである坂本さんに担当を変えた。
今年の夏くらいから、目で追っていたのは岡田さんではなくて坂本さんだった。
岡田さんを担当にした理由は「見守り続けたい」と思ったらからですが、坂本さんを担当にした理由は「彼がリーダーとして率いる『V6が好き』」だから。

私は今まで岡田さんを中心としてV6を見続けて来たけど、彼らの中心にいたのはいつもどんな時でも坂本さんだった。
規律が乱れないように、暖かくも厳しくメンバーと接してきた。
メンバーから慕われ信頼され、誰1人として脱退させることなく20年引っ張って来た。
そんな人がリーダーとして率いるV6が好きなんだと、V6デビュー20周年と言う節目に思った。

今年、6人が作詞を行い、井ノ原さんが各々の詞を1つにまとめ作曲を手掛けた「~此処から~」と言う楽曲がある。
その中で、坂本さんが作詞をし自身が歌っているパートがある。

*2番Aメロ
多分このまま続くんだろう
言葉にできない関係で

*2番サビ
必ず訪れる
明日を共に描こう
坂本さんは最初の歌詞を「きっと」ではなくて「多分」を使っている。
多分は「恐らく」「大抵」を意味するけど、「きっと」は話し手の決意や確信、強い要望などを表す言葉で、「確かに」「必ず」を意味する。
人生何があるか分からない。
この関係性が、V6が明日も続くとは限らない。
だから、「きっと」ではなく「多分」を選んだのだと思う。
だけど、それなのに、最後は「必ず訪れる明日を共に描こう」と力強く綴っている。

「明日は必ず訪れる」と不透明な未来を、何の根拠もないのに「必ず」と自信を持って決め付ける。
メンバーに「共に描こう」と強引に言い切る。
この詞を書けるのも、歌えるのも、リーダーの坂本さんしかありえないと思から。
本当は弱気なのに無謀なことを押し通そうとする、そんな坂本さんがリーダーとして率いるV6と坂本さんが好きだと言うことに気が付いた。

20年前、24歳だった坂本さんは14歳の岡田さんと初めて会った時に、「初めまして。坂本です」と丁寧に挨拶したけど、岡田さんからは「おう!」と返されたそうだ。
「誰に『おう!』っつってんだ」と初対面で10歳も年下の岡田さんに「おう!」と返されたことが衝撃過ぎて、今でも鮮明に覚えていると坂本さんは言う。
そんな礼儀を知らない、大阪から単身で上京して来たごく普通の中学生の岡田さんに、挨拶や礼儀作法、仕事のこと、何から何まで坂本さんが教えた。
終いには「10時になったから寝ろ」「学校には遅刻するな」とまるで父親代わりのようなことをやっていた。

そんな坂本さんと岡田さんも44歳と35歳です。
岡田さんが「坂本くん、戦国時代だったら死んでるよね」とボソッと呟いて坂本さんがショックを受けたと言う話がある。
「本人も気付いてないんだけど、全く悪気はないんです(笑)」と坂本さんは言う。
20年経っても「おう!」と言った時から、根は変わってないんだなぁと、なんでか分からないけど泣けてきて、とてもしみじみとした。

岡田さんのことを好きな気持ちは今も変わらないけど、私の中では何かが変わってしまった。
多分、「もう心配しなくても大丈夫なんだなぁ・・・」と言う気持ちの方が、「好き」と言う気持ちを上回ったんだと思う。

岡田さんのファンになって、嬉しいことも、楽しいことも、辛いことも、苦しいことも、色んなことがあった。
もしかすると、幸せなことよりも嫌なことの方が多かったかもしれない。
だけど、10年と言う長い年月をかけて、少しずつ良い方向へと成長して行く岡田さんを見届けることが出来て本当に幸せだった。
たかが10年間だけど本当に1番嬉しかった。
私の岡田さんを担当とした最後のジャニオタライフを、V6の一員としてメンバーと心から楽しそうに笑う岡田さんを見ることが出来て本当に幸せだった。

岡田さんは今年のライブで「メンバーは凄く素敵な人達で、外で仕事をして帰ってくると、みんな凄く優しくて、凄く良いお兄さんたちなんです。良い人なんですよ。みんな良い人たちを好きになりましたね」とV6デビュー20年目にしてメンバーのことをファンに紹介してくれた。他のメンバーがファンに感謝の思いを伝える中、岡田さんだけは何度も何度もメンバーの話を繰り返した。
不満に思ったファンも中にはいたかもしれないけど、私はそれが嬉しかった。
V6でいてくれてありがとうと感じた瞬間だった。

これからは、もっと純粋に、違う角度から岡田さんを感じていたい。