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「〜此処から〜」の個人的な感想

先日、投票結果発表が行われた「ジャニーズ楽曲大賞」で第9位にランクインした「〜此処から〜」。
遅ればせながら、改めて「〜此処から〜」について考えた。

「〜此処から〜」は20周年の記念にV6が作詞をし、井ノ原さんが各々の詞を1つにまとめ作曲を手掛けた楽曲。
最初はファンに向けての詞を考えていたが、途中からメンバーに向けての詞に変更になった。

全員の詞を見たのはまとめ役を務めた井ノ原さんだけで、こんな風に思っていたんだとか、これはあの時のことだなとか、とても感慨深かったそうだ。
メンバーは井ノ原さんに提出するのが相当恥ずかしかったようで、渡した紙を「早く捨ててくれ(笑)」と、歌う時も「赤裸々過ぎて恥ずかしい」と言っていた。

坂本さんと剛くんの詞はなぐり書き、長野さと岡田さんの詞は丸々1曲作れそうなくらい完成度が高く、健くんは1番量を多く書いていたらしい。
井ノ原さんは詞をまとめるのは大変だったけど、20年共に同じ道を歩んできた者同士、6人の考え方は同じだったと言っていた。

歌割は出来るだけそれぞれが書いた部分を歌うように割り振られた。

剛くんの「丁度いい距離保ちながら ユラユラと流れてきた」から始まるAメロ。
メンバーの近況やマイブームなどを雑誌の対談で知ることもしばしば。
仕事以外ではほとんど会うこともないし、全員の電話番号も知らないと言うV6。
V6・・・と言うか、剛くん以外は多分お互いみんな知ってる(笑)。
剛くんは全員の電話番号を知らないし、メンバーも剛くんのを知らなくて、「死ぬ間際になったら教える」って最近雑誌で言ってた(笑)。

 V6はどちらかと言えば、前へ前へと積極的に進んで行くようなグループではない。
自分たちよりも後輩や周りの人を前へ前へと出してあげるそんなグループだ。
「今年の目標は何ですか?」と聞かれると、みんなが考え込み「特にないですかね・・・流されるままに」と答えるV6。
正に「ユラユラと流れてきた」V6。

元々「ユラユラ」と言う言葉は、風でなびく木の葉っぱを見た時に浮かんだ言葉だと健くんが言っていたけど、隣にいた剛くんをチラッと見ると剛くんも「ユラユラ」と書いていたらしく、「何でこいつも同じこと書いてんだよ!?かぶるかぶる」と思って健くんは書くのを止めたと言っていた。*1
この偶然とは思えない出来事、さすが剛健・・・恐るべし。

「ビールの泡みたいに 僕等消えてしまうことだって出来たのに」と歌っているのは健くんだけど、書いたのは井ノ原さんだと言っていた。
ここで私が注目したのは「消えてしまうことだって出来たのに」ではなく「ビールの泡」と言う部分で、V6の中ではお酒、ビールと言えば誰もが結びつく坂本さん。
世の中には色んな消えてしまうものがある中で、あえて「ビールの泡」を選んだと言うことに、坂本さんのことをジュニア時代から尊敬していた井ノ原さんなりの深い意味があるのではないかと感じた詞だった。
 
10周年の時に反抗期に突入し、2015年に入るくらいまでズルズルと引きずってきたと言う岡田さんの「気付けなかったんだ 若さのせいかな 目の前の情熱で 互いの優しさが見えなくて」は本当に感慨深い。
V6よりも俳優の道へと進んで行った岡田さんに、何を言うこともなくずっと温かく見守り続けたメンバー。
当時は目の前のことに精一杯で周りを見る余裕がなく、メンバーの優しさに気付くことができなかったんだろうなと、今のはじけた岡田さんと重ねると泣きそうになる。

「いつもの調子で行こうぜ」から始まるサビ。
彼らが歩んで来た20年を考えると本当に色んなことを考えしまってグッときてしまう詞が多いけど、私はここの詞が1番好きかもしれない。
別に泣ける言葉でも何でもないかもしれないけど、今までV6が当たり前にやってきた日常を、当たり前にこれからもやって行こうと、こうやって改めて字面にされるとグッとくるものがある。

過去の過ちをなかったことにして忘れるのではなく「いとしい後悔背負って」と「いとしい」と思って背負い続けるV6が私はいとしい。
ここの詞は誰が書いたのか公にされてないので分からないけど、岡田さんが書いた詞なのかなと勝手ながら思ってる。
それこそ、反抗期でメンバーに冷たく接してしまったこととか、健くんに「アイドルとして誇りを持ってくれ」と言わせてしまったことを、インタビュー等で「本当に後悔してるし、本当に申し訳なかったと思ってる。でも、あの時の自分がいなかったらメンバーの愛情に溺れて、今ダメ人間になっていたのかもしれない」と言っていたことがとても印象深く残っているから。

今から17年くらい前に、剛くんが坂本さんに「ありがとうなんて言いたくない。俺たちにはまだまだやらなきゃいけないことがたくさんあるから、これからもよろしく頼むよ」と言う手紙を読んだことがある。
約17年の時を経て「感謝なんてしたくない サヨナラはまだ早いから」と歌う健くん。
ここでも剛健は繋がっていた・・・。

そして2番へと移り、前回の記事でも少し触れたけど「多分このまま続くんだろう 言葉にできない関係で」と言う坂本さんの詞。
「きっと」ではなくて「多分」を使った理由。
多分は「恐らく」「大抵」を意味するけど、「きっと」は話し手の決意や確信、強い要望などを表す言葉で、「確かに」「必ず」を意味する。
人生何があるか分からない。
この関係性が、V6が明日も続くとは限らない。
だから、「きっと」ではなく「多分」を選んだのだと思う。
だけど、それなのに、2番のサビでは「必ず訪れる明日を共に描こう」と力強く綴っている。
「明日は必ず訪れる」と不透明な未来を、何の根拠もないのに「必ず」と自信を持って決め付け、メンバーに「共に描こう」と強引に言い切る。
この詞を書けるのも、歌えるのも、リーダーの坂本さんしかありえないと思うから。
本当は弱気だし優柔不断なところもあるけど、無謀なことを押し通そうと強気ないつもの姿が、ちょっとした言葉の中に垣間見えて心に染み入った。

「感じた 温もりの分だけ 伝えたいけど 照れ臭いから 心に思うよ」と歌う長野さんが本当にそのまま長野さんだった。
斜め上でもなければ想像外の言葉でもないし、その言葉の意味を考えるような言葉でもない。
どこの言葉を取っても長野さんをストレートに表している。
剛くんの影に隠れてるけど、実はメンバーの中で1番自分の気持ちを素直に伝えることが苦手なタイプなんじゃないかと思う。
そんな長野さんが「照れ臭いから心に思うよ」と本心を歌ってると言う事実が熱い。

岡田さんが「『おはよう!』って言うと剛くんが1番元気に挨拶してくれる」って言っていたことを思い出す「けだるく挨拶しようぜ 軽く手なんかあげちゃって」と言う剛くんの詞。
井ノ原さん曰く「剛だけじゃなくて割とみんなそんな感じだよ」と言っていた。
「いつもの調子で行こうぜ」と同じように、当たり前の日常を当たり前に出来る尊さ。
落ちサビで響き渡る剛くんの甘く切ない歌声がその尊さを更に際立たせる。

「〜此処から〜」の詞を見て気付いたことは、詞の中にありきたりな「ありがとう」と言う言葉が1つも入っていないと言うこと。
彼らは「ありがとう」ではなくて「サヨナラはまだ早いから『感謝なんてしたくない』と書いている。

「感謝なんてしたくない」「多分このまま続くんだろう」「照れくさいから心に思うよ」「けだるく挨拶しようぜ」など、不器用な人が多いV6らしい表現だと思った1番と2番。
だけど、最後のサビでは感謝なんてしないけど・・・


「此処からいなくならないで」


と、突然出てくる直球どストレートど真中な言葉。

お、重い・・・。

激重じゃん・・・。

V6重い・・・。

健くんと井ノ原さん(ハモリ)が歌っていて1番盛り上がる箇所だけど、詞を書いたのは剛くんだと思われる。*2

剛健・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


昨日の楽曲大賞のコメントの通り、「20年経ったけど『此処から』また歩き出そう」って言う前向きな楽曲だと思っていたのに、いざ聴いてみると『此処から』いなくならないで」の「此処から」だと言う意味を知った時の衝撃は今でも忘れない。
「『此処から』いなくならないで」の「此処から」だなんて1%も思ってもいなかった。

14歳で大阪から単身で上京して来て、何も分からないままデビュー直前のV6に放り込まれた岡田さん。
毎日怒られて悔しい思いをし、何度も辞めようと思っていた。
20歳の時に辞めると意思を固め、事務所に言いに行く直前に話をもらった「木更津キャッツアイ」。
岡田さんを引き止めたのはメンバーではなく芝居だった。
それから芝居にのめり込んでいくようになり、V6がデビュー10周年を迎えた2005年からV6に対して反抗期が始まった。
V6に心がない岡田さんにメンバーは気付いていたけど、誰が何を言うこともなかった。
「優しく見守ってくれた」と岡田さんは言っていた。

「岡田が1番大変だったんじゃないかな?」とメンバーは口を揃える。
そんな最年少の岡田さんの目から見たV6はどう映っているのか、どうしても岡田さんの言葉で終わらせることにこだわった井ノ原さん。

若さのせいで、目の前の情熱で、メンバーの優しさに気付くことが出来なかった岡田さんが、


「僕を変えてくれた人  優しさを教えてくれた人」


と歌う今。

6人が6人のまま変わることなく過ごしてきた時の流れを感じただただ泣く。

温かく優しいメロディーラインが井ノ原さんの人柄を、V6の雰囲気を表していて本当に大好き。

「〜此処から〜」は初回限定盤のアルバム収録曲で、「Wait for You」みたいにテレビで披露したことも全くなかったのに、楽曲大賞の他担の投票率を見ると5113票に対し804票も入っていたことにビックリした。
シングルとして発売してそこそこテレビで披露した「Timeless」よりも他担の投票率が高かったと言うのも感慨深い。

21年目に突入したV6。
これからも、いつもの調子でユラユラと流れて行く6人に着いて行きたい。

*1:「SUPER Very best」の初回限定盤Aの特典映像にV6の合宿が収録されていて、その合宿で制作が始まった楽曲。

*2:PVで剛くんが書いていたノートに「いなくならないでね」と書かれていた。

岡田さんの担当を降りました

突然ですが、岡田さんを担当にすることをやめました。

あんなに重い記事を書いておきなが担降りするんかい!と思う方もたくさんいると思います。自分でもそう思いました。
何だったんだあれは・・・と。
だけど、今思えば、前回の記事に思っていたことを全て吐き出すことが出来たのも、きっと自分の気持ちにけじめをつけたかったからなのかもしれません。

岡田さんのことを好きな気持ちは彼のファンになってから今でも1mmも変わっていません。
それなのにどうして担降りしたのかと言うと、「見守り続ける必要性を感じなくなったから」です。
前回の記事でも書いた通り、彼ならもうこの先も大丈夫だと断言できるからです。
岡田さんの心がV6にない時から、彼の心にV6が戻るまでの10年を見て来ました。
私が見てきたのはたかが10年ですが、長過ぎるくらいの時間を経てV6に戻って来た岡田さんなら、もうこれからも大丈夫だと、今の岡田さんを見ていると本当にそう言い切れるからです。

前回の記事を読んでいただいた方はご存じだと思いますが、私が岡田さんのファンになったのは、その時々でこほこほ変わるジェットコースターのような気分の波の激しさにビックリして、色々調べるも謎だらけで、もっと知りたいと興味を持ったことがきっかけだった。

感情を表に出さず、グループから遠ざかっている岡田さんを、今にも消えてしまいそうな岡田さんを、「この人は大丈夫なんだろうか」とずっと心配していた。
彼が心から笑えるようになるまで「見守り続けたい」とそう思っていた。
だけど、今は、本当に心から楽しそうに笑っていて、色んな表情を見せてくれる。
昔の岡田さんはもういないんです。

いわゆる反抗期と呼ばれた時期の岡田さんを私は好きになったので、好きになった時の岡田さんがいないと言うのは少し寂しさもあります。
・・・いや、寂しいです。
とても寂しい。

だけど、それでもV6として、メンバーと心から楽しそうに笑う今の岡田さんを見るのが本当に嬉しくて、岡田さんを好きになった10年の中で本当に1番嬉しかった。

そうやってメンバーと楽しそうに笑う岡田さんを今年はたくさん見たし、見過ぎた。
嬉しいはずなのに、そんな岡田さんを見る度に、自分の心にぽっかりと穴が空いていることに気付いた。
「もう心配しなくても大丈夫なんだなぁ・・・」とそう思うようになった。
私1人が岡田さんの担当をやめたって1mm足りとも本人に影響はないし、私のことも知らないんだけど、「私の役目は終わった」と1番にそう思った。

今でも私が岡田さんを好きな気持ちはファンになった当時と変わらないし、今の岡田さんの方が大好きなのにそれが寂しい。
凄く寂しい。
嬉しいのに寂しい・・・。
そうやって岡田さんを、V6を見ていくうちに、気付けば岡田さんを目で追わなくなっていた。

岡田さんは「自分が入口でもいいから他のメンバーのことをもっと知って欲しいし、好きになって欲しい。それが自分の役目だと思っています」と以前に言ったことがある。

だから、私は岡田さんから、V6のリーダーである坂本さんに担当を変えた。
今年の夏くらいから、目で追っていたのは岡田さんではなくて坂本さんだった。
岡田さんを担当にした理由は「見守り続けたい」と思ったらからですが、坂本さんを担当にした理由は「彼がリーダーとして率いる『V6が好き』」だから。

私は今まで岡田さんを中心としてV6を見続けて来たけど、彼らの中心にいたのはいつもどんな時でも坂本さんだった。
規律が乱れないように、暖かくも厳しくメンバーと接してきた。
メンバーから慕われ信頼され、誰1人として脱退させることなく20年引っ張って来た。
そんな人がリーダーとして率いるV6が好きなんだと、V6デビュー20周年と言う節目に思った。

今年、6人が作詞を行い、井ノ原さんが各々の詞を1つにまとめ作曲を手掛けた「~此処から~」と言う楽曲がある。
その中で、坂本さんが作詞をし自身が歌っているパートがある。

*2番Aメロ
多分このまま続くんだろう
言葉にできない関係で

*2番サビ
必ず訪れる
明日を共に描こう
坂本さんは最初の歌詞を「きっと」ではなくて「多分」を使っている。
多分は「恐らく」「大抵」を意味するけど、「きっと」は話し手の決意や確信、強い要望などを表す言葉で、「確かに」「必ず」を意味する。
人生何があるか分からない。
この関係性が、V6が明日も続くとは限らない。
だから、「きっと」ではなく「多分」を選んだのだと思う。
だけど、それなのに、最後は「必ず訪れる明日を共に描こう」と力強く綴っている。

「明日は必ず訪れる」と不透明な未来を、何の根拠もないのに「必ず」と自信を持って決め付ける。
メンバーに「共に描こう」と強引に言い切る。
この詞を書けるのも、歌えるのも、リーダーの坂本さんしかありえないと思から。
本当は弱気なのに無謀なことを押し通そうとする、そんな坂本さんがリーダーとして率いるV6と坂本さんが好きだと言うことに気が付いた。

20年前、24歳だった坂本さんは14歳の岡田さんと初めて会った時に、「初めまして。坂本です」と丁寧に挨拶したけど、岡田さんからは「おう!」と返されたそうだ。
「誰に『おう!』っつってんだ」と初対面で10歳も年下の岡田さんに「おう!」と返されたことが衝撃過ぎて、今でも鮮明に覚えていると坂本さんは言う。
そんな礼儀を知らない、大阪から単身で上京して来たごく普通の中学生の岡田さんに、挨拶や礼儀作法、仕事のこと、何から何まで坂本さんが教えた。
終いには「10時になったから寝ろ」「学校には遅刻するな」とまるで父親代わりのようなことをやっていた。

そんな坂本さんと岡田さんも44歳と35歳です。
岡田さんが「坂本くん、戦国時代だったら死んでるよね」とボソッと呟いて坂本さんがショックを受けたと言う話がある。
「本人も気付いてないんだけど、全く悪気はないんです(笑)」と坂本さんは言う。
20年経っても「おう!」と言った時から、根は変わってないんだなぁと、なんでか分からないけど泣けてきて、とてもしみじみとした。

岡田さんのことを好きな気持ちは今も変わらないけど、私の中では何かが変わってしまった。
多分、「もう心配しなくても大丈夫なんだなぁ・・・」と言う気持ちの方が、「好き」と言う気持ちを上回ったんだと思う。

岡田さんのファンになって、嬉しいことも、楽しいことも、辛いことも、苦しいことも、色んなことがあった。
もしかすると、幸せなことよりも嫌なことの方が多かったかもしれない。
だけど、10年と言う長い年月をかけて、少しずつ良い方向へと成長して行く岡田さんを見届けることが出来て本当に幸せだった。
たかが10年間だけど本当に1番嬉しかった。
私の岡田さんを担当とした最後のジャニオタライフを、V6の一員としてメンバーと心から楽しそうに笑う岡田さんを見ることが出来て本当に幸せだった。

岡田さんは今年のライブで「メンバーは凄く素敵な人達で、外で仕事をして帰ってくると、みんな凄く優しくて、凄く良いお兄さんたちなんです。良い人なんですよ。みんな良い人たちを好きになりましたね」とV6デビュー20年目にしてメンバーのことをファンに紹介してくれた。他のメンバーがファンに感謝の思いを伝える中、岡田さんだけは何度も何度もメンバーの話を繰り返した。
不満に思ったファンも中にはいたかもしれないけど、私はそれが嬉しかった。
V6でいてくれてありがとうと感じた瞬間だった。

これからは、もっと純粋に、違う角度から岡田さんを感じていたい。

私が好きになった岡田准一はもういない

先日、岡田さんが「図書館戦争」の番宣で出演していた「VS嵐」と「櫻井有吉アブナイ夜会」を見た。

リアルタイムにTwitterで「岡田」と検索をかけると「もっと寡黙でクールな人だと思ってた」「見る度にキャラが違う」「どこを目指してるの?」「いつから筋肉キャラになったの?」「イメージと違う」「関西人なのに関西弁がおかしい」「本当にジャニーズ?」「こんなに面白い人だとは思わなかった」「自衛隊?」「岡田くんどうしたの!」「いよいよやばい」と言うツイートしか出てこなくて、最近の岡田さんの言動を見ていると世間の岡田さんに対するイメージが変わってきていることに薄々気付いてはいたが、想像以上のツイートばかりだったのでさすがに笑ってしまった。
最近の岡田さんはファンの私ですら10年前と本当に同一人物なのか疑うレベルだ。

私がV6のファンになったのは2005年。
岡田さんの存在を知ったのは真っ赤な背景をバックに「関係ないぜ!!!!」と叫んでいるボーダフォンのCMだった。
それから学校へ行こう!を見るようになったのだけど、ちょうどその時にボーダフォンのCMが流行っていたのかそこでも私は何かと「関係ないぜ!!!!」と縁があった。
学生にインタビューをしている時に「関係ないぜの人の番組?」と言う学生がいたり、膝の骨がポキポキ鳴って恥ずかしいと言う学生の元に坂本さんと岡田さんが会いに行き、車で「膝の骨がポキポキ鳴る人は○時に○○中学校の体育館に集合してください!」と呼びかけて回った結果、ざっと500名くらいが集まりみんなで一緒に膝の骨をポキポキ鳴らしながら岡田さんが「ポキポキなんて関係ない!!(ポキッ)関係ないぜ!!!!(ポキポキッ)」と叫びながらコラボレーションすると言う何とも斬新なロケがあり、このロケがきっかけで私はV6のファンになった。
 
その時はこういう感じ人なのかな?と思っていたが、翌週以降は別人のように物静かでとてもテンションが低く、何なんだこの人は!?ともっと知りたくなった。
それから色々調べていくと3つのことが分かった。

1つ目は変人だと言うこと。
台本を修正テープで全部消し、自分の番になると当然読めなくなって困る、ガムの包み紙で鶴を延々と降り続けメンバーを怖がらせる、補強のために台本の角をテープで固定する、紙をクリップで延々と引っ掻く、日曜大工で熊の木彫りを作って近所の公園に「ご自由にお取りください」と書いて通行人が持って帰るか家から観察する、お風呂で瞬間移動の練習をするなどとても変人だった。

2つ目は無口で大人しい、物静かな人だと言うこと。
とにかく喋らない。全然喋らない。ギャラ泥棒かって言うくらい喋らない。物凄く大人しい。
メンバーが騒いでいても外から見ているような感じで、自分からは入って行こうとはしなかった。
カメラが回っていても無表情が多く、笑っている顔をほとんど見たことがなかった。
それを示すように、坂本さんが「普段あまり笑わないだけに岡田が笑ってると『おっ!』って思う」とか、剛くんが「あまりにも喋らないから死んでんじゃないかと思って。それも含めて岡田なんだけどもっと喋った方が良いよ」「岡田を笑わすのは難しい」「岡田が笑ってると安心する」と言うようなことを言っていた。

3つ目はマイペースだと言うこと。
その時々で気分の波が非常に激しい人だと思った。
普段は物静かなのにスイッチが入ると別人のように騒ぎ出したかと思えば、数分後には俯いて1点を見つめていたりそんな場面を何度も見た。

この3つのイメージにより私の中で岡田さんは、気分の波が激しくて突然騒ぎ出すことがあるけど、基本的には物静かで大人しい、無口でちょっと変わった人と言うイメージが出来上がった。
 
それからファンになって10年が経過した現在、近年の岡田さんのあまりの変わりように当然ビックリしている。
10年も経てば人が成長するのは当たり前だけど、あまりにも変わりすぎてもはや別人としか思えないのだ。
昔はあんなに無口で気分の波も激しかったのに、今はどの番組に誰と出演しても安定してるし、いつの間にかコミュニケーション能力も高くなってるし、よく喋るし面白いわで全くクールじゃない!!!!!誰だよお前!?!?!?ただの変態じゃないか!!!!!!!!!!

体も10年前と比べる倍以上大きくなり、ジークンドー、カリ、USA修斗の3つのインストラクターの資格も持っている。
バラエティ番組に出演すればもちろんこの話に触れられるわけで、先日のVS嵐と櫻井有吉アブナイ夜会の2番組だけで「筋肉岡田」「筋肉さん」「筋肉兄妹」「震源岡田准一」「岡田一門」「(ササミだけ食う)モンスター」「岡田メソッド」の7つのあだ名が誕生した。
最近はゴリラキャラとしても認知されつつあり、後輩のHey!Say!JUMPの伊野尾くんにも「(岡田と違って)僕たち普通の人間は・・・」とゴリラ扱いされ、榮倉奈々さんにも「(撮影で)森でゴリラ(岡田)と走ってきただけだから」 と言われる始末だ。
本人も自分がゴリラであることは重々自覚しており、名古屋のイケメンゴリラで有名なシャバーニに対抗し自らを東のシャバーニと名乗っていた。
最近も福岡の動物園でゴリラに会ってきたらしく「実家?」と井ノ原さんに突っ込まれていた。

そして、いつの間にか後輩(男)大好きペロペロおじさんにもなって口を開けば後輩や年下の俳優(男)に「可愛い♡」を連発してメンバーや後輩のお尻を46時中追いかけ回しているが、本人曰くあくまでも「1番可愛いのは健ちゃん(三宅健)で2番目は長野くん」これだけは何があっても譲れないらしい。

私が最近1番ビックリしたのは、雑誌の撮影か何かで長野さんと剛くんで岡田さんを挟んでいると「長野くん!もう、これどうにかして!」と長野さんは剛くんから助けを求められ見てみると、岡田さんが剛くんのお尻を揉み、剛くんのポケットに手を入れているとそのポケットに岡田さんが手を入れてきて剛くんの手を握ろうとしていたらしい
更に、今度は長野さんの手を掴んだかと思えば、指を絡ましてきて手を握り「ええやん!ええやん!」と言ってきたそうだ。
何がビックリって、カメラが回っていなくても普段からそう言うことをやっていると言う事実に背筋がゾッとしたが、その反面この話がとても嬉しくもあった。
 
V6は来月の11月1日にデビュー20周年を迎える。
20周年の節目と言うことでデビューしてからの20年間について色んなことを語ってくれていて、その中で1番引っかかったのは岡田さんの反抗期についてだ。
本人曰く10周年の2005年が反抗期のピークだったらしく、私がファンになったのは2005年なのでどうやら1番酷かった時期にファンになったようだ。
今となっては当時が反抗期だったと知って納得せざるを得ないくらい心当たりがたくさんある。

ファンになった直後の私の中の岡田さんのイメージであるあまり喋らない物静かな人が、今の岡田さんを見ていると反抗期を表していたのではないかと思った。
「感情をコントロールできる能力が欲しい」と言っていたり、メンバーの輪に入っていこうとせず距離を取り、メンバーに絡まれても面倒くさそうな素振りを見せることも多々あった。
時には冷たく突き放すこともあったと思う。
私の印象では健くんに対して当たりが強かった気がした。
1人で仕事をしている時の方が楽しそうだったし、本来1番居心地の良い場所でなければならないはずのV6が、その時は岡田さんにとって1番居心地の悪い場所になってしまっていたのではないかと思った。

元はと言えばジャニーズ事務所に入ったのも、岡田さんのお母さんが履歴書を送ったからであり、自分の意思ではない。
元々人前に出ることが苦手で、学生時代は授業中に先生に当てられると毎回吐きそうになっていたくらいあがり症で、本当は20歳で芸能界を引退しようと思っていたこと、メンバーと話したくない時期があったこと、クールを装っていた時期があったこと、拗ねて喋らなかったこと、自らをアイドルの劣等生と評しアイドルでいることに疑問を抱いていた過去を明かしている。

そんな時(2008年頃)に健くんから「アイドルとして誇りを持ってくれ」と言われたことがあり、メンバーに言わせてはいけない言葉だったと、そこまで思わせていたことを後悔し反省したそうだ。
アカデミー賞を受賞した時にも「芝居の方に気持ちがいってしまったこともあった」と話していた通り「岡田と一緒にいてもあいつはここにいないと感じる瞬間があった」と健くんが語ったことがあった(2006年頃)。
端から見ても分かるくらい本当に俳優業に傾いていたのだろう。
だから、カメラが回っていなくても自分からアクションを起こし、メンバーに構ってもらおうとしているこがとても嬉しかった。
 
今でこそ表情が昔より大分柔らかくなりよく笑うようになったが、個人的な印象としては完全に表情が柔らかくなったのはつい最近の2013年頃だと思った。
本人ももうすぐ20周年だなと思ってV6をちゃんと意識し始めたのが2年前の2013年だと言っていたので、本人が20周年を意識したことと、岡田さんの心がV6にはないと感じながらも、何1つ変わることなく温かく見守り続けたメンバーがいたからこそ、ここまで変わることができたのではないかと思う。*1

「誰1人として欠けることなく、この6人だったから20周年を迎えることができた」とメンバーが口を揃えて話すように、お互いを理解し尊重し合うことができるこの6人だったからこそ今のV6がここにいるのだと思う。

「それぞれが好きなことをやらせてあげたい。どんな時でも個性を尊重したい。V6は1人が欠けてもその穴を5人で埋めることができるし、必ず戻って来てくれると信じてる。その繰り返しで絆を深めてきた」と話す坂本さんや井ノ原さんの言葉がとても好きだ。
その言葉通り、坂本さんはミュージカルや料理番組、長野さんはグルメ番組、井ノ原さんは司会者、剛くんは舞台、健くんは手話やバラエティー番組、岡田さんは俳優業などそれぞれが自分のやりたいことを見つけ多方面で活躍している。

岡田さんは20周年を「自分は何もしていなくて、みんなにここまで連れてきてもらった」と振り返る。
岡田さんがどんなに俳優として功績を残し、外で「岡田さん」として扱いを受けていようが、V6に戻れば20年前と何1つ変わることのない、最年少のただの「岡田」として扱われる。 「『岡田』と呼ばれこんな扱いを受けるのはV6だけだから嬉しい」「みんなには頭が上がらない」「この前も『お前は14歳の時と何も変わってないからな!』と言われた」と嬉しそうに話す岡田さんの表情はいつもとても良い表情をしている。
 
岡田さんは来月の11月18日に35歳になるが、今でも恥ずかしげもなくメンバーを「お兄ちゃん」と呼び、メンバーも言われ慣れた様子でその言葉を受け止める。
14歳で大阪から1人で上京し下積み経験もなく、右も左も分からない状態でいきなりV6としてデビューした。
先輩だらけの中に放り込まれ、最年長の坂本さんは24歳で岡田さんとは10歳も年齢が離れていたし、1番年齢が近い健くんも剛くんと剛健コンビと呼ばれ、ジュニアのトップで2人でデビューするのではないかと噂されるほど人気があった。
そんな人達に着いて行くのは大変だっだと思うし、当時は学生だったので学校にも行かなければいけないし本当に大変だっだと思う。
なかなかダンスを覚えることができなかった時には、夜遅くまで剛くんと健くんが付き合ってくれたこともあったと言う。
当時は合宿所生活で、学校があるから寝ようとしていたところを剛くんと健くんに無理矢理起こされて寝させてもらえなかったことや、寝ることができたとしても寝ている間に何をされるか分からないから、十分に睡眠を取ることができなかったこと、しょっちゅうお尻を噛まれて岡田さんの左右のお尻には剛くんと健くんの歯型が残っていること、恋愛禁止の学校なのにキスマークを付けられて男から付けられたとは言えず停学になりかけたことなど、いたずらもたくさんされて大変だったらしいが、後々いたずらをしてしまった理由として剛くんは「弟ができたみたいで嬉しかった。俺は妹しかいなかったから弟との接し方が分からなかった」と、健くんは「ペットみたいで可愛いかったからついいたずらしてしまった」と語っている。

仕事で疲れて学校に遅刻することもあったらしい。
その時には学校から事務所に電話が入り事務所から坂本さんに「岡田をちゃんと学校に行かせろ」と坂本さん経由で岡田さんに「ちゃんと学校に行け。行かなかったら1発殴るからな」と約束していだと言う。
また、坂本さんはカミセンの教育係として礼儀作法等を厳しく叩き込み、岡田さんと2人で並んで何かを教えている様子を見たメンバーが「あの2人親子みたいだね(笑)」と言うこともあったそうだ。

井ノ原さんは大阪から1人で上京して来て友達がいない岡田さんを心配し、外に連れ出して悩みを聞き出そうとしたり、何かと岡田さんを気にかけて、プライベートでも1番遊んでいたらしい。

長野さんは岡田さんが「長野くんは本当にずっと優しかった」と話すように、怒られてばかりの岡田さんを宥め暖かく見守り続けた。

そんな環境の中にいれば自然にメンバーを「お兄ちゃん」と思ってしまうのも分かる。
今はメンバーのことが大好きで、「メンバーがいたから今の自分がいる」「恩を返したい」「V6になれて良かった」と言う。
そんな岡田さんの願いは「5人が幸せになってくれること」。
 
坂本さんと剛くんが「岡田が笑ってると安心する」と語ってから数十年が経った現在でも剛くんは「岡田が笑ってるとホッとする。本人も多分意識して楽しんでるんじゃないかな?」と言い、岡田さんを笑顔の人」と評す。
同じように井ノ原さんも「岡田が笑ってると良いなと思うからこれからも笑っていて欲しい」と言っていた。
また、剛くんはNHKの「SONGS」でも「俺は岡田の背負ってるものは分からないけど、V6にいる時くらいは何も考えず笑ってて欲しい」と伝えると「剛くんにそんなことを言われるなんて・・・(笑)今日は泣けるぜ・・・(笑)」と岡田さんは笑いに持っていこうとしたが、目には確かに涙が浮かんでた。

何故、ここまでメンバーが口を揃えて岡田さんの笑顔について触れるのか私には全ては分からないけど、恐らく、岡田さんの長年にわたった反抗期と、V6と俳優業を両立することができず苦しむ岡田さんをメンバーが1番近くで見てきたからだと思う。
 
今年の6月に45枚目のシングル「Timeless」の20周年イベントで、6人で作詞を担当しメンバーそれぞれが書いた詞を井ノ原さんが1つの詞にまとめて作曲を手掛けた「〜此処から〜」を初披露した。*2
デビューしてから今までのV6を歌った楽曲であり、リアルなV6の関係性やそれぞれの色々な思いが詰め込められている。
「俺は20周年も泣かないと思う。坂本くんを泣かせたい」と言っていた本人が、歌の最中に突然落ち着きがなくなり後ろの画面を振り返ったり、下を向いたりして1人だけ様子がおかしかった。
歌唱後、井ノ原さんに「なんで後ろ向いてたの?」と聞かれると「グッときた。泣けるなと思って・・・」と岡田さんが言うと井ノ原さんが「本当かよ?(笑)」と言っていたのだが、恐らく岡田さんが本当に泣きそうだったことを察したのだろうか。
それ以上何も突っ込まなかった。
後に、岡田さんは最近泣いたことは?と言う質問にこのイベントでの出来事を挙げ泣きそうになったと語っていた。
 
私が好きになった岡田さんはもういない。

内気でメンバーとも壁がありポーカーフェイスだった青年が、今は表情豊かで色んな顔を見せてくれる。
メンバーとも良好な関係を築き、今まで注いでもらったたくさんの温かい愛情と優しさを、今度は自分がメンバーに注いでいる。
現場では自ら先頭に立ち指揮を取って雰囲気を作っているそうだ。
「人って変われるんだ」と岡田さんを見てるとつくづくそう思った。
私が好きになったあの時の岡田さんはもういないけど、胸を張って今の岡田さんの方が断然好きだと言える。
 
今年の8月に放送された「24時間テレビ」で、2014年に亡くなった高倉健さんに向けて岡田さんが書いた手紙に「僕が役を演じることで、僕が五人の仲間と歌うことで、その仕事は誰かの心に届いているでしょうか?」と言う一節があった。
岡田さんは「僕が5人の仲間と歌うことで、その仕事は」と言う言葉の後に長い沈黙を挟み「誰かの心に届いているのでしょうか?」と途中から声を震わせながら涙を拭った。
V6よりも俳優に重きを置いたVTRだったので手紙も「僕が役を演じることで、その仕事は誰かの心に届いているのでしょうか?」だけでも良かった。
だけど、岡田さんはその後に「5人の仲間と歌うことで」と言うフレーズをあえて加えた。

この言葉を加えたことで、10年前にはなかったV6に対する岡田さんの心が、今は確かにあると確信した。
 
岡田さんはこれからもV6と共に俳優業を続けていくと思う。
しかし、V6から再び心が離れることは決してないだろう。

*1:完全に反抗期が終わったのは2015年に入ってからだと言っていた。

*2:岡田さんが書いた歌詞は「気付けなかったんだ 若さのせいかな 目の前の情熱で 互いの優しさが見えなくて 僕を変えてくれた人 優しさを教えてくれた人」と言う部分。「歌詞の最後は1番年下で苦労した岡田の言葉でどうしても終わらせたかった」と言う井ノ原さんの強い要望で岡田さんの言葉で締めくくられている。